台風一過の秋晴れの中、今年もウォーターフロント祭りの目玉である阿波踊り大会が開催された。こちらに住んで以来、笛・太鼓の音がすると一目散に駆けつけてしまう体質になってしまった(笑)ので楽しみにしていたイベント。しかし例年より阿波踊りの連は数が少なかった。高円寺からも今年は1連しか来ていなかったような? ちょっと残念だ。
ケータイカメラでちょっと撮ってみたので雰囲気だけでもドゾ。
阿波踊りは400年くらいに歴史があるらしいが、徳島踊り・阿波踊りの名称が新聞に出たのは1909年。明治初期は文明開化に押され、狂気踊りと呼ばれたりして圧力を受けたこともあるようだ。連がたくさんできて活発化したのは戦後になってからだ。
踊り方も明治時代の覆面踊りや昭和初期の若者のジャズ踊りなどブレがあった。楽器もバイオリン、ハーモニカ、鉦、鳳尾琴、バラライカ、四つ竹、しの笛、タンバリン、ビールの空き瓶、金だらいなど「?」というものまで使用されたが、美的センスや伝統という面で淘汰されたとのこと。昭和7年頃の徳島新聞の批判記事に関するくだりがこれ。
多様化:うーむ。阿波踊りは奥が深い。たぶん、来年の夏はとりあえず高円寺かそれとも本場徳島に行っていると思う。
加賀はジャズ化について、踊りで最も大切な美的普遍性が欠けており、一般化していないと断言。「若い人々の一時的な局部露出症」で、年を取ると「従来の盆踊りの主流の中に溶け入って来る」人もよく見掛けるとして、あくまで「派生的な存在であって、傳統(でんとう)的な阿波踊りの主流を毫(ごう)も汚す ものでない事を信ずる」と言っている。