Creating Passionate Users: Death threats against bloggers are NOT "protected speech" (why I cancelled my ETech presentations):そして最後に「ブログを止めようかなー」と。
I have no idea if I'll ever post again. I suspect I will. But for now, I have a lot to rethink.
ここから怒りや激励コメントが殺到。TechMemeでも怒涛の言及ブログの数々。中でも、Robert Scobleは大激怒。問題のサイトで彼や友人のことも話題になっていたらしい。そして「殺人予告や性的な攻撃などからオレ達は安全であるべきだ。特に他のブロガーからの!オレはKathyの記事を読んだあと病気になった。(しばらく)ブログは書かん!」と1週間の休み宣言。ただし、「インターネット・カルチャーにはうんざりだ」と言いつつも、
Taking the week off « Scobleizer - Tech Geek Blogger:と状況改善に向けた意思も表明している。
We have to fix this culture. For the next week, let’s discuss how.
一方、Frank PaynterやChris Lockeを筆頭に、彼女を攻撃した疑いのあるブロガー達は他のブロガーやジャーナリストによって追求を受けている。そんな中、死を示唆するアイコラを投稿したJoeyと名乗る人間がKathy のブログにコメント。
Creating Passionate Users: Death threats against bloggers are NOT "protected speech" (why I cancelled my ETech presentations):「お門ちがいだ。自分はKathy ではなく、他の人に向けて言ったまで」ということなんだが、これが本当に本人が書いたかどうか定かでないし、とにかく火の手はまだ治まっていない。日本では、 i d e a * i d e aさんが昨日の時点で触れているのが最初みたい。いずれ、メディアがサマってくれることを期待しよう。
Kathy,
You are taking this entirely out of context. I am 'Joey'. You have my IP address and I'll gladly give you contact information.
そういえば、3月23日の情報通信政策フォーラム(ICPF)で匿名実名に関する議論があったようだが、米国はインターネットに対する期待値の部分が大きいだけに、インターネットの良さをスポイルする動きへの怒りも一層大きいような感じだ。彼らのことだ。予防論やスルー能力というだけではなくて、具体的にブログをはじめとする各種ツールに、悪意をブロックするための何らかの取り組みが始まるのではないかな。
*Updated 3/29/2007*
今の状況だが、Chris LockeかAlan Herrellが背後に居たという話になり、Doc Searlsに送られたAlanからのメールが公開されている。なんとここで、IDをクラックされていたという告白。
The Doc Searls Weblog : Tuesday, March 27, 2007:よって、なりすましによる第3者による荒らしかということで、Where do we go from here? (どうしたらいいんだよう)との展開。Kathy Sierraは依然、ブログを再開してはいない。
I am no longer me. My main machine despite my best efforts has been hacked, my accounts compromised including my email. and has been disconnected from the internet.
How did this happen? When did this happen? shit doc, i don't have a fucking clue. I thought i was pretty sharp. I guess not.
*Updated 4/1/2007*
以下の3つの展開を押さえておく。まず、SF Chronicleのスタッフによる記事。構造的な問題との認識だと思う。
ついで、オライリーが「ブロガーの行動規範」のための呼びかけを掲載。
そして、「ジャーナリズムがなぜ重要か」というタイトルで、公平さ・正確さ・責任能力を持たない人々が出版のような力を得ることの問題とジャーナリズムの存在意義について書いている(ブログを否定しているわけではないし、ジャーナリストも間違うことがあると断っている)。