Twitter - いつか来た道?(déjà vu)

メディア・パブさんの記事で既報の通り、先月からTwitterブームが爆発中だ。SXSW conferenceあたりからかな? Twitterの意味は「さえずり」つまり「ピヨピヨ」だ。「今何してる?」だけをひたすら共有するWeb 2.0 Start Up。

TwitterはObviousがサービスしている。先日紹介した、Odeoを売りに出してる企業(Odeoの売り方参照)でもある。ObviousにはBlogger開発でも一役買っていたBiz Stone氏がいるんだけど、彼のブログでニコラス・G・カー(あのIT Doesn't MatterのNicholas G. Carr)が、Twitterにハマっていることを知った。「Twitter is the telegraph system of Web 2.0」だって。

140文字という制限が生む新しい世界。Nickはこれを「Web 2.0時代の電信」、つまり、モールス信号だと形容したわけです。あまりに単純すぎて、差別化できない。World is flat。人類みな兄弟。

先日来取り上げている、キャシー(Kathy Sierra)は、あの事件の前、何故Twitter中毒になるかを説明している。
  1. スロットマシーンみたい。(不確定だが)断続的に小さな喜びがある
  2. 本当に「ツナガッテル」感じ。ショートメッセージの連続により、時間・場所を超えて、他人の感情が伝わる
これ読むと、モバゲータウン(Mobage-Town)とかの日本のケータイ文化のように思える。

Nickに戻るが、彼はこう言っている。
Rough Type: Nicholas Carr's Blog: Twitter dot dash:
The great paradox of 'social networking' is that it uses narcissism as the glue for 'community.' Being online means being alone, and being in an online community means being alone together.

「ソーシャルネットワーキング」の偉大な矛盾は「自己愛」がコミュニティの接着剤になっていることだ。オンラインであることは、孤独であることを意味する。そして、オンライン共同体とは「みんな一緒の孤独」を意味している。
既視感?どこかで聞いたような?
Rough Type: Nicholas Carr's Blog: Twitter dot dash:
As the physical world takes on more of the characteristics of a simulation, we seek reality in the simulated world. At least there we can be confident that the simulation is real.

物理的な世界がより一層のシミュレーション特性を見せるとき、僕らは(逆に)シミュレートされた世界で現実を求めるのだ。
これは先日の拡大する空間で述べた、この10年の物理への回帰の話に一部通じていると思えるなあ。

まあ、Twitterをめぐる子供のようなはしゃぎっぷりを見ると、「アメリカは遅れてる」と言い出す若者が居ても不思議ではない気がする。Twitter / nytimesなんかを見ると、「すわ、micro media到来?」なんて少し思えて、この先の展開はわからないけどねー。